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くまもと音楽復興支援100人委員会のひとりとして熊本・阿蘇へ歌を届けてきました。


家族の協力も貰って熊本へ。

テントや寝袋。野外活動一式を車に積んで約12時間。

熊本へ近づくと道路が凸凹で

インターは地震で崩壊し片道通行。

街は東日本大震災の時のように「がんばろう!」の文字が至る所に掲げられていた。

多くのお店が閉店し、ブルーシートが屋根には被せられ、

以前のような街の様子はなかった。

阿蘇へ向かう道路は2方法しかなく

僕は大好きなミルクロードを通って阿蘇へ入った。

山は崩れ、田んぼには大きなヒビ、

阿蘇を駆け巡る阿蘇鉄道は、脱線した電車がそのままの状態だった。

車の量は多かったが

草千里方面に向かうと 街は静まりかえり

以前は活気あふれていたお店や建物 ホテルもゴルフ場も閉店

新築の家が崩れたり ペンション村では大地が崩れ 入れない状態

阿蘇大橋近辺はゴーストタウン化していた

地震により水源が変わってしまったらしく

未だ水がこないところもある

水がないということは お店は難しい

以前は、大人気で賑わっていたお店も 大きな看板を掲げ

「ランチやってます!」

観光客は減り、これまでの生活は大きく変わってしまったということが肌で感じた。

家族や、大切な人と一緒に、コンサートも毎年ここで呼んでいただいていた、

葉祥明阿蘇美術館。

僕の大好きな場所であり、僕の心の故郷がこの場所である。

阿蘇がそんな被害の中、奇跡的に美術館は大丈夫だった。

しかし、以前飾られていた絵はもうない。

被害の凄まじさは館長の葉山さんから伺っていた。

震災後はじめて、草刈りが行われるということで

僕も応援に駆けつけた。

この美術館を大好きな人達がボランティアで集まり

草刈りをした。

この場所が以前のように

多くの人の心を癒やすチカラを取り戻すために・・・

東京からは葉祥明さんも来られた。

葉さんとは長野の講演会でご一緒させて頂いた時、以来の再会でした。

大好きな阿蘇が、ここ美術館が大きく傷ついている姿は

胸が痛かった。

締め付けられる思いを胸に、雨の中、無心で草を集めた。

草が生い茂る中、ここのお庭のシンボルの木

これからはみんなの「希望の木」となっていくであろう

その木へと続く 一本の道が現れた

後日、その木から熊本を眺めながら、

僕の作品のレコーディングにはいつも参加してくれている

辻本明日香ちゃんがこの場所でアメージング・グレイスを弾いてくれた。

阿蘇大橋で亡くなった方々のこと

自然と共に生きるということは こういうことなのだと頭ではわかりながらも

受け止めて前を向いて生きていかなければいけないこと

阿蘇に来て実際 変わり果てた姿を目で見て 悲しみ不安に包まれた方々の顔を見ながら

色々なことを感じて 

そんな僕の心に

その音色が響き渡った

館長の葉山さんも涙ぐんでいた

今 前を向いて生きていくために 心の癒やしが必要なのだと改めて感じた

その後、僕は、くまもと音楽復興支援100人委員会のひとりとして、

熊本市内にある避難所 桜木体育館へ。

そして、この震災のためにはるばる大阪から駆けつけてくれた

ボランティア仲間として、大阪アーティムのメンバーとは

南阿蘇にある長陽保育園、久木野福祉センターと音楽を届けた。

ニュースにもなっていた地獄温泉。僕もよくここには来ていた場所の一つで、

その地獄温泉のすぐしたにある3つの保育園が集まった新しく阿蘇らしい立派な保育園だった。

ここでは「くまもんとブルービーのなかまたち」を、歌入り読み聞かせ。

物語では表現できないものを歌に乗せた。

今進めているミュージカル用の書いた曲達とともに届けた。

実際に阿蘇が舞台となっている物語ということもあるのか

子どもたちも目をくりくりしながら楽しそうに聞いてくれた。

個人的な感想は、福島の震災の時は

放射能で外に出れない子どもたちはストレスをかなり感じていたが

阿蘇の子どもたちは元気なように見えた。

ただ、子どもたちの面倒を見てくれている先生たちは疲れているように見えた。

久木野福祉センターでは、バイオリンの辻本明日香ちゃんの生演奏とともに

「こころのコンサート」をお届けした。

皆さんにCDをプレゼントした際に

涙ながらに胸のうちを話してきてくださる方もいた。

みんな大変な中で 抱えているものがあるのだと・・・

阿蘇へ来て本当に良かったと 強く思った瞬間だった。

桜木体育館ではまた違った雰囲気で

先が見えない不安に 心身ともに疲れきっている方々が多くいらした。

ここでは、スクリーンを用意して頂き

葉さんの絵をスクリーンに投影しながら、朗読と歌をお届けした。

涙を流しながら聞かれる方もいらしたり、遠くから聞いておられたり、

演奏が終わると、お礼を伝えに話しかけてきてくださる方もいたり、

ここへも本当に来てよかったとそう思えたのだが、

放心状態でおられる方々に

僕の音楽が役にたてたのか そこはわからない。

もっとできたことがあるのではないかと

コンサートを終え、神戸へ帰る車のなかでそう思ったのである。

今回、色々な方々のサポートも頂きながら

色々と回りましたが

これから、熊本は長い戦いになっていくだと

だからこそ、風を入れていかなければいけないと思いました。

これからも僕ができることを 

想いのある方々と繋がりあい 助け合いながら

無理なく続けていきたいと思います。

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